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水田論文騒動

 「自衛隊は憲法違反である」と言うような発言を、生徒の前でしてはならない。そのように指導されてきた。学校のような公教育の現場ではなくても、生徒を傷つける発言は、ご法度である。生徒の家族や親せきに自衛隊の人がいる可能性は多分にあるからだ。政治的中立性の問題ではなく、感受性の問題である。
 そんなことを考えながら、昨今の水田議員の不適切な表現で、雑誌が休刊にまで追い込まれた騒動を考えるとき、これは何だったのだろうかという疑問が湧いてきた。本来、一部の読者しか読まないだろうと思われる文章に使われている表現が不適切だとして、様々なメディアが、その表現を連呼する。もはや流行語かと思われるレベルまで露出しているのはどうなのだろう。この表現をここまで露出させている人たちは、本当に不適切だと思っているのだろうかと、疑いたくもなる。
 この流行とも思える、不適切表現の過剰な露出状況こそ、LGBTの人たちを傷つけているのではないか。正義は悪を倒すだけでなく、その正義によって守られるべき人を傷つけることもあるのだと少々考えさせられた。

  朝日新聞に投稿するも没・・・まあ、没なんだからここに載せてもいいだろう。
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正しく生きるとはどういうことか

 池田清彦著。新潮文庫。先日、この作者の本を読んだとき、環境問題に関する考え方がおもしろかったので、他のも読んでみようと思って、鴨方図書館から借りて来たもの。文庫本なので持ち運びには便利だった。そういうと中身は大したことがなかったという文脈になりそうだが、そういうわけではない。ただ、環境問題のほどは感銘をうけなかった。
 著者は「リバリアニズムの古典として永らく読み継がれることになるだろう」とあとがきに書いていた。もちろん、筆者独特のユーモアなのだろうが、それだけ、考え方の原理的なものではあると思う。たとえば社会を変革するときにどういう考え方に基づいて、どういう社会を作ろうとするのかという、青写真的なものが必要になる。「現実」に対する視点おも言い換えられるだろうか。そういう意味では思考を整理するうえで、非常にすっきりはする。
 「平等」はフィクションだが、皆が同意できる価値もあるとは思う。だから、平等をどのように適用するのか、市場原理とどう対応するのか、「自由」とはどういうものなのか、市場原理の中でそれはどう扱われるのか、警察や裁判所はどうして必要なのか、そういった物事を考えるうえで、基になるものを示してくれていると思う。そういう意味では、読み継がれていく古典になっても、まあ、おかしくはない。少なくとも筆者は冗談で言っているわけではないように思う。
 最後に、養老さんとの対談で本が締めくくられていた。養老さんとは「虫取り仲間」らしい。ラオスだかカンボジアだかにきているらしく、そこでの談義が載っていた。世の中を超越しているようなふたりに「虫取り」が共通しているのは、何かを示唆するものなのだろうか。

新潮45の休刊

 新潮45が休刊。例の水田水脈論文問題が尾を引いてのことだ。もともとが売れなくなったので、過激な右翼の方に活路を見出したのが失敗のもとだったのかもしれない。最近は「ネトウヨ」と呼ばれる右翼的な考えを支持する人が増えたので、そちら的な方向に活路を見出すというのはおかしなことではないとは思うが。
 「LGBTに生産性がない」というのは、確かに差別的表現である。そこは確かに問題だけれども、実際、子供を産むわけではないから、少子化対策には何の役にも立たないのも確かである。少子化対策をする必要があるかないかは別問題として、少子化対策と言う土俵の中では、「保護しない」という結論があってもおかしくないと思う。「生産性」の定義からすれば使われるはずのない場面で使っているのは、論文によりインパクトを与えたいという「修辞的」なものなのだろうと考える。だからこそ、そこに恣意性や差別意識を感じるのだろう。
 例えば、「自衛隊は憲法違反」ということを、自衛隊員相手に言えば、「名誉棄損」だと思う。犯罪とまで言えるかどうかはわからないけれど、「人を傷つけている」という意味では十分犯罪である。LGBTの人に「おまえらは生産性がない」とうのと大差はないと思う。理論上で自衛隊が憲法に違反しているかどうかとは関係がない。
 新潮45が単に意見を主張するだけの場であり、その主張が間違っていると言うのでないのであれば、その表現について「謝罪」すべきであり、休刊というのとは話が違うと思う。売れなくなったから「休刊」なら、それはそれで納得できるのだが。

新しい環境の教科書

 池田清彦著。新潮文庫。鴨方図書館より。幸田真音の文庫本を返したとき、文庫本は持ち運びに便利でいいなと思い、借りたもの。電車で本を読むことの多い私としては、借りてみて初めて、文庫本の手軽さがわかったと言ってもいい。
 中身より形と言うことで借りて来た本だが、正直、大当たりという感じである。ものの見方を書てくれる本がよい本だとしたら、この本は、「環境問題」について、なるほどとうなづける視点を与えてくれたと思う。
 たとえば、地球温暖化。必ずしも二酸化炭素が原因と言うわけではない、という話は聞いたことがあったが、「化石燃料を使い果たしたら、何度温度が上がるかを計算した方が現実的である。」という話は、ちょっと目からうろこだった。化石燃料があと何年持つかわからないが、どう計算しても100年も持たないと思われる。なのに100年後の地球の温度など計算してみたところで意味はなかろう、ということだ。確かにそのとおりである。このままいけば、化石燃料などどう節約してみても、いずれ使い果たすわけだ。二酸化炭素が原因ならば、使い果たした後は、二酸化炭素の増加を心配する必要はない。今必要なのは太陽熱や太陽光を電気に効率的に変える技術や蓄電する技術だろう。現在の技術では化石燃料後が見通せない。
 見通せない以上、つなぎ役として原子力にも頑張ってもらう必要がある。やっぱり、経済はまだまだ発展した方がよい。

自民党総裁選

 本日、自民党総裁選。安倍現総裁が圧勝することは確実なようだ。であれば、逆に早い段階で現総裁側についていた方が、その後の損得勘定としてはプラスになる、そういう計算は成り立つだろう。勝ち馬に乗るというやつだ。まじめに最後まで考えつくすのはよい立ち回りとは言えない。
 昨日、小泉進次郎議員は石破議員に票を投じることを表明。前回の選挙でも石破氏に投じている。将来の総裁候補の進次郎氏。もう少し早く動いていれば、石破支持ももう少し広がっていたかもしれない。
 ところで、先日、通勤途中の尾道市商店街を歩いていたら、石破さんに出くわした。ちょうど演説が終わって、駅方向に歩いているところだった。テレビカメラも何台があったので、有線放送や地方局では放送されるのかもしれない。確か、向こうから「こんにちは」と声をかけてきた。自民党の党員などではないのだけれど、「こんにちは」と返した。
 一期一会の本質的な意味とは違うかもしれないが、まさに一期一会。石破さんの意志は私が継ごうというわけではないが、なんだか、そういうちょっとありえないような偶然だった。